1. 料亭旅館

  2. 温泉旅館

  3. 日本旅館

  4. ホテル他

金沢市旅館ホテル協同組合は、慶応2年の「金沢旅籠屋組合」設立から数えて、令和8年で創立160周年を迎えることができました。この節目の年に金沢くらしの博物館では企画展「金沢を旅する」が開催されることになり、令和8年の冬から春にかけて同館の学芸員の方と一緒にいくつかの旅館を訪問し、昔のお話を伺ってきました。(事務局・小坂)

金沢くらしの博物館 企画展「金沢を旅する」

旅路を照らす提灯の話

最初に伺ったのは十間町にあるすみよしや旅館。藩政期から城下町で旅籠をされていて、当時は尾張町の、今の森忠商店(台湾料理店 四知堂)の場所にありました。金沢商工人名録(昭和3年)には住吉屋の開業年として「約二百五十年前」の記述がみられます。すみよしや旅館は、加賀藩に代わって手判(通行手形)を発行する手判問屋を任された7軒の旅館のうちの一軒であったことや、伊能忠敬が加賀を測量した際に滞在したことでも知られています。

そんなすみよしや旅館が今の場所に移転したのは明治の初め、十間町の、現在は近江町パーキングがある場所に米穀取引所ができたことがきっかけだそうです。当時、米穀取引所の周りには、各地から米の買い付けに来た商人たちを泊める宿が多数できました。それらの旅館のうち、すみよしや旅館と浅田屋旅館の2軒は現在でも十間町で営業しています。

すみよしや旅館では、「石川県下商工便覧」や「一新搆社」の帳面を見せていただきました。「一新搆社」は各地の宿屋が連携することで旅人に便宜を図った「講」のひとつで、大坂から善光寺まで、各地の宿屋の名前や名所などを紹介したものだそうです。旅人はこれを携帯し、宿場に着けばそれを頼りに信頼できるところに宿をとることができました。藩政期、人々の主な移動手段は徒歩。宿では、朝まだ暗いうちから出立する旅人に提灯を貸し出したそうです。提灯には宿の名前が書いてあります。旅人が次の町で泊まる宿に提灯を預けておくと、別の旅人が金沢に向かう時にその提灯を使い、無事にすみよしやまで戻ってくるしくみです。このように、昔の宿屋は協力しあって旅人の便宜をはかっていたというお話でした。すみよしや提灯

同じく米穀取引所のあった十間町に暖簾をあげている浅田屋旅館はもともと飛脚の家柄で、加賀藩から江戸三度飛脚を拝命し、名字帯刀を許されていました(山本一力氏による時代小説のモデルにもなりました)。藩の御用で書状や荷物を運びますので、セキュリティ上一般の宿屋に泊まることはできず、専用の飛脚宿を利用することになります。飛脚を営む家が同時に飛脚宿として他藩の飛脚を泊めることも多かったそうで、浅田屋が江戸時代最後の年、慶応3年に旅籠屋を始めたのはそういった成りゆきもあるのではとのことでした。

商人宿からビジネスホテルへ

金沢に旅籠屋組合ができたのは幕末の慶応2年。そのとき加盟していた6軒のうちの1軒が住吉屋、現在のすみよしや旅館です。旅籠屋組合はその後、大正3年に「金沢宿屋組合」となり、尾山神社前の灯篭一対を寄進しています。この時の組合員は85名。同15年には「金沢市旅人宿業組合」に改称しましたが、組合員は177名にまで増えています。
ではどんな人たちが金沢の宿を利用したのでしょうか。当時は神社参詣や湯治が旅の中心で、こういった旅人たちはやはり神社仏閣の近くや温泉場に泊まったでしょう。金沢の旅館を利用したのは、観光よりもむしろ商売などで訪れた人々のほうが多かったようです。すみよしやや浅田屋のように、米穀取引所や市場の周りにはそういった人々を泊める宿が多くありました。県庁や市役所、旧制第四高等学校のあった広坂から片町にかけては、役所に用事のある人のための宿が。また、歩兵第七聯隊や第九師団が置かれた現在の金沢城公園近くの尾張町や、同じく兵舎や練兵場などがあった平和町のあたりには、兵隊さんの見送りや面会人、軍と取引する商人を泊めるための宿がいくつもできました。

尾山神社神門前灯籠(土台に「奉納」「金澤宿屋組合中」の文字が見える)

戦後の高度成長期を支えたビジネスマンたちも、金沢の宿に泊まりました。今とは交通事情も通信事情も全く違う当時、営業マンたちは金沢の宿に数日から数週間滞在し、そこを起点に加賀・能登・富山と各地をまわったのだそうです。家族経営の旅館ということもあり、すっかり打ち解けた雰囲気に。毎年決まった時期に金沢に出張する人も多いため、お客さん同士も自然にお互い顔見知りになり、満室の時などは「相部屋でいいよ」と言ってくださることも。片町の村田屋旅館で見せてもらった新聞の切り抜きによると、台風で犀川が氾濫して浸水被害が出た時、常連のお客さんたちが率先して畳などを2階にあげてくれたそうです。

手ごろな値段で泊まれるビジネスホテルが金沢でも普及し始めた1980年代以降、出張で金沢を訪れる人の宿泊先は徐々に旅館からビジネスホテルへと移っていきました。時代の流れで旅館からビジネスホテルに転換したものの、のちに閉館してしまった施設があった一方、ビジネス以外の客をもてなす工夫をして、今でも旅館として営業を続けている施設もあります。現在では、欧米からの旅行客が家庭的なおもてなしと昔ながらの畳敷きの客室を求め、日本旅館に泊まるようになりました。インターネットを使って、どこにいても情報が手に入り、予約まで完結できる現代ならではの旅館の形だと思います。

駅前の旅館

明治31年、小松~金沢間に鉄道が開業。大正4年には金沢~上野間を約13時間半でむすぶ直通列車が走るようになりました。金沢から江戸まで徒歩で10日以上かけて旅をしていた頃と比べると格段に行き来がしやすくなり、駅前には多くの旅館ができました。大正8年創業の鹿島屋旅館もそういった旅館のひとつで、旧官営鉄道(JRの前身)の寮であった建物を利用して旅館を始めました。現在でも当時と同じ建物で営業しています。屋号の「鹿島屋」は創業者の出身地、鹿島郡能登島から。

歓迎旗(鹿島屋旅館)

鹿島屋旅館も旅行や商用の客に大いに利用されましたが、駅前という立地から、出征する兵士や戦後の修学旅行客も多く泊まったそうです。
戦時中、各地から出征してきた兵隊さんたちは、金沢駅前の旅館で一泊。翌朝早い汽車で福井県の敦賀港に向けて出発すると、あとはそこから軍艦に乗って戦地に赴くだけ。鹿島屋の先代はそんな兵隊さんたちを精いっぱいもてなしたそうです。(兵隊さんも、故郷を離れる時にもらった餞別の使い道がこの先もうないからと随分散財されたとのこと)
また、駅前の旅館には修学旅行生も泊まりました。戦後のベビーブームの頃は1軒の旅館に全員が泊まれるはずもなく、分宿といって同じ学校の生徒たちが何軒かの旅館に分かれて泊まったのだそうです。当時の子どもたちは今と違って随分やんちゃな子が多かったそうで、宿の主人も手を焼いたとか。(いろいろエピソードを聞きましたが割愛します)

饗応と宿泊

国の登録無形文化財に指定された「加賀料理」。金沢にはその伝統を今に伝える料亭旅館があります。明治32年に北國新聞社が発行した「加越能三州宿屋料理屋投票得点数番付」は、相撲の番付表になぞらえ、東に旅館、西に料亭が得点順に並んでいるものです。現在の組合加盟施設では、東(旅館)に住吉屋、山室、淺田屋、石屋、西(料亭)に金城樓、山の尾の名前を見つけることができます(屋号は同資料のまま表記)。金城樓山乃尾で「いつごろ旅館を始められたのですか」と聞くと、いつからということもなく、宴会のあと客がそのまま泊まっていくことは昔からよくあったそうです。当時料亭を利用し、時に宿をとった客は、地元の、政財界などの名士や上流家庭、陸軍の幹部など。
遠方から金沢を訪れた旅行客も料亭に泊まりました。室生犀星を訪ねた芥川龍之介は、特別な計らいにより兼六園内の料亭・三芳庵別荘(2008年まで翠滝の上にあった)に逗留してその風雅を絶賛しました。

観光と温泉

金沢市郊外、森本地区(昭和37年に金沢市に編入)の深谷温泉郷には、かつて口ノ湯泉館、中ノ湯清水、元湯石屋の3軒の温泉旅館がありました。現在は元湯石屋のみ営業しています。元湯石屋は深谷温泉で最も古く、寛政元年(1789年)の創業。前田土佐守家の湯治場であったそうですが、その謂れは前田土佐守の夢枕に薬師如来が立ったとも鷹狩の際に見出したとも伝わっています。以降、温泉場が整備され、人々が湯治に訪れるようになりました。明治44年には省線(国鉄)森本駅が開業、昭和の初めには送迎の自動車も加わり、さらに多くの人が訪れます。石屋では、戦前の宿帳や、同じく戦前、宿泊客に渡していたオリジナルの観光ガイドブック「深谷温泉誌」なども見せてもらいました。宿帳といえば宿泊客の氏名や住所を記録するものですが、当時のものには「士族」「平民」の別を記入する欄が設けられており時代を感じます。

石屋で伺った話で意外だったのは、以前は町内会や子供会の団体で日帰りの利用があったこと。ご近所のみんなで温泉に入ってお昼を食べて夕方には帰っていくというあれです。筆者が子供の頃なら金沢ヘルスセンター、そしてルネスかなざわ、今ならテルメ金沢でしょうか。元湯石屋のシックな館内からは想像するのが難しいですね。また元湯石屋といえば大正時代に六代目の当主が普請した能舞台や、豪商・木谷藤右衛門の別荘を移築した孔雀の間が有名です。詳しくは元湯石屋のホームページをご覧ください。

外国からの旅人をもてなす

明治26年創業、尾張町の旅館やまむろで見せてもらったのはジャパニーズイングループのパンフレットたち。手ごろな値段で泊まれる家族経営の小さな旅館のグループで、昭和54年(1979年)に設立。全国にある加盟旅館では、海外からの旅行客を日本的でアットホームなおもてなしで迎えてきました。同グループは、加盟旅館をパンフレットなどで紹介して訪日旅行客に安心できる宿の情報を提供してきたほか、日本旅館でのマナーなどの啓発も共同で行ってきました。
同グループに参加している金沢の旅館は、旅館やまむろ、村田屋旅館、ホテルひので屋の3軒。特にやまむろと村田屋は現在宿泊客の9割以上が欧米を中心とした外国人旅行者となっています。

村田屋旅館で、ジャパニーズイングループに加入したいきさつを聞いてみました。すると、社長がある時業界紙を読んでいたら同グループ設立の記事が目に留まり、面白そうだと思い資料を取り寄せたのがきっかけとのこと。予約サイトもインターネットもない時代、日本の空港に降り立った訪日旅行客は案内所のカウンターでジャパニーズイングループのパンフレットを見つけ、宿泊の申し込みをしたそうです。また一度泊まった客が何年かして再訪してくれたり、知り合いに勧めてくれたりということもありました。昔は海外のお客様とのやり取りはFAXやエアメール(航空郵便)。エアメールだと日数がかかりそうですが、それも楽しみのうちだったのでしょう。いい話ばかりではなく、1980~90年代は日本円が非常に高くて、我々は普通だと思っている宿泊や食事の値段について「なんでこんなに高いんだ」と言われることもあったと聞いて、今と反対だなと思いました。

すみよしや旅館、元湯石屋などジャパニーズイングループ以外の旅館では、北陸新幹線の金沢開業(2015年)前後にちょうどBooking.comなど外国の予約サイトが広がり始め、さっそくインターネット予約に対応したところ、一気に海外からの宿泊予約が増えたとのこと。コロナ禍以降に対応を始めた旅館も含め、今では多くの旅館で、欧米豪を中心とした外国人が宿泊客の中心となっています。こういった旅館に泊まるのは、団体旅行客ではなく自分たちで宿を予約してじっくり旅を楽しみたい人たち。金沢には2泊以上、中には1週間くらい滞在する人もいるそうです。

金沢を旅する

大河ドラマ「利家とまつ」が放送された平成14年(2002年)には、北陸新幹線開業前で一番といっていいほど多くの観光客が金沢を訪れました。筆者が古書店で見つけた「大河ドラマ石川県推進協議会記録集」には、金沢城公園で開かれた「加賀百万石博(平成14年)」の来場者アンケートの結果が掲載されています。
一部抜粋すると、

  • 地域別来場者:東海…21%、関西…20%、関東…17%、県内…16% 北陸・信越…15% など
  • 宿泊する場所:日帰り…30%、金沢地区…22%、南加賀地区…17%、和倉温泉…9% など

市外の温泉地などに宿泊する人を合計すると、金沢に宿泊する人よりも多いことが分かります。観光は金沢、宿泊は温泉地、というように、以前は温泉旅行のついでに金沢に来て、兼六園などを訪問する、といった旅のしかたが主流でした。
現在では、金沢を観光して夜も市内に泊まることは珍しくありませんが、これは割と最近の傾向で、北陸新幹線の金沢開業以降に増えたように思う、と何人かから聞きました。観光名所を巡るだけでなく、食べ歩きをしてその土地の名物グルメを味わうことが旅の主な目的に加わり、またそれらをテレビやSNSなどで目にする機会が増えたことも理由のひとつかもしれません。

当組合が昭和43年(1968年)にまとめた「観光金沢の旅館百年史」という冊子があります。その中の「観光かなざわ」というページを紹介します。

観光かなざわ

金沢のガイドマップです。昔から旅の主な目的であったや神社仏閣や、近郊の温泉地が多く掲載されています。金沢の三文豪、泉鏡花、室生犀星、徳田秋聲の文学碑が書き込まれているのは今でいう聖地巡礼、文学ファンが訪れたからでしょう。また、病院やスポーツ施設、官公庁などは、遠方からそれらの施設を利用する人が近くの旅館に泊まったためと思われ、いかにも旅館組合の冊子らしい印象です。

一方、今なら外せないスポットが掲載されていないことにも気づきます。
近江町市場は観光地ではなく市民が買い物をする場所でした。ひがし茶屋街は旧東廓と呼ばれ、一見さんお断りのお茶屋ばかり。以前から茶屋を見学できる施設(志摩)はありましたが、グルメやお買い物を目当てに行く場所ではなかったのです。金沢21世紀美術館(2004年開館)のある広坂通りには移転前の能楽堂が書かれています。
今の観光ガイドマップと見比べていると時代の移り変わりが感じられて楽しいものです。

金沢市内宿泊施設動向によると、2025年の年間宿泊者数は430万人以上。そのうちの26.8%が外国からの旅行客でした。今金沢の城下町を歩くと、国内外を問わず多くの観光客を目にします。もちろん出張などの用事で訪れる人も数多くいます。手甲・脚絆に草鞋履きで旅をした藩政期から現代まで、遠くからやってきて金沢に宿を取り、土地のものを食べたり買ったりする、旅というのは町にとって換気のような役割もあったのではと思います。適度な風通しの良さが、この街に暮らす私たちに心地よいものであることは間違いありません。

お話を伺った旅館

すみよしや旅館旅館やまむろ鹿島屋旅館村田屋旅館浅田屋旅館金城樓山乃尾深谷温泉 元湯石屋

金沢に旅行されることがあれば、ぜひこれら老舗旅館への宿泊もご検討ください。